連載 No.62 2017年09月03日掲載

 

ビネガーシンドローム


保管中の写真や映画などの古いフィルムが抱える問題に「ビネガーシンドローム」という現象がある。

フィルムベース(支持体)に使われていた透明な素材(トリアセテート)は50年以上の保存に耐えるといわれていたが、

比較的短い時間で変質し、大きく変化してしまうことがある。

保管中のフィルムが酸っぱい臭いを発するようになると、この現象が始まっていると考えられるから注意が必要だ。



症状が進むにつれて、フィルムが発する酸の臭いは強くなり、べたついたりぐにゃぐにゃに曲がってしまう。

状態はさまざまだが、ひび割れたり変形していると、おおむね画像は破壊されており、

焼き付けることはできず復元する方法もない。



さらにその現象は保管中の他のフィルムにどんどん広がっていく。

伝染病のような不気味な症状と酸の臭いから「ビネガーシンドローム」と呼ばれ、近年あちこちで耳にするようになった。

製造年度やメーカー、ブランドなどで発生率は違うが、

写真フィルム、映画などの映像、マイクロフィルム、それらすべてにこの現象が起こる可能性がある。



なぜ想定外に短い期間で変質するのか。食い止めることはできるのか。

研究もされてはいるが、温度、湿度などの一般的な条件以外に、

保管場所でのフィルムの密度や気密性が問題視されている。

つまり、密閉した空間にたくさんのフィルムを保管している場所ほどこの現象は起こりやすい。

映画のフィルムやマイクロフィルムのように、フィルム同士が密着して巻き取られた状態だと

お互いに発する微量のガスが触媒となり、さらに変化を引き起こす。



一般家庭でも例外ではない。

古いフィルムはこまめに点検し、低温で風通しのよい場所への保管に気を配りたい。

そしてフィルムが変質してからでは画像を焼き付けることはできないので、

大切な写真はデジタル化するなどの予防策を考えるべきだろう。



今回の作品はその、ビネガーシンドロームに侵されたネガから仕上げたものだ。

撮影は1979年、学校の課題のために撮影し、特殊技法のソラリゼーション(画像の反転)を施してあった。

その当時は乾燥剤などと共に密閉された容器で保管するのが一般的で、

私の場合は古い茶箱に乾燥剤と一緒にたくさんのフィルムを保管していたのである。



ネガの異変に気づいたのは90年代だ。茶箱を開けると酸の臭いがする。

臭いの強いフィルムを箱から出して隔離したが進行は止まらず、

今では乳剤のシワと共に激しく波打って新たなオブジェのように魅力的に変形している。

壁のペンキがはがれていくのを美しく思う私としては、

このシワも、作品の効果として仕上げることはできないかと思って特殊な方法でプリントしたのがこの作品。

つまらない宿題が、ビネガーシンドロームのおかげで生まれ変わったといえなくもない。